山毛欅で「ぶな」と読む。木へんに無しの「橅」とも表記されるのだが、僕としては山毛欅の方がしっくりくる。
ガサゴソと森の中を10分も歩けば、この山毛欅に会うことが出来る。いつだって黙って僕をむかえてくれる。そう、木はいつも無口なのだ。
むかしむかし人生の師から聞いた話。「木のように黙って立って、お前を見つめるのが親だ」と。「親という字は、親のあるべき姿を示している」のだとも。なるほど・・・子に対してつべこべ言わず、ただ見ることだけで子を諭す。実際、そんな親はいないだろうけど・・・ね。
さて、くだんの山毛欅であるが、相変わらず無口である。だけど・・・この山毛欅の下に立つと、僕の全てを見透かされているようで恐いのだ。僕よりも遥かに永い時間を生きている先輩である。所謂「上から目線」とは違う威厳ある目力を感じる。自然の全てを知り尽くしている、人間(お前)の所業などタカが知れているんだよと云っているようだ。僕は思わず立ちすくんでしまう。
僕にとって山毛欅は単なる木では無いのである。