2017年02月20日

春を待つ

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二月も後半近くになると、日によっては春を思わせる日が続くことがある。先週のニュースでは、あまりの暑さのため「かき氷」を求める人の行列の映像が流されていた。一瞬、目を疑ったが、それは紛れもない事実。いったいどうしちゃったのと思わず呟いてしまった。

頭と身体を冷やすために、いつもの山毛欅の森に入る。何回かの大雪に見舞われた裏磐梯であるが、雪害による枝折れもほとんどないようでホッとした。指先、足先がジンジン冷える。流れる雲が季節を運んでくるのだろうか。青空の色にどことなく春を感じた。そう、季節はゆっくり、そして少しずつ変わっていけばいいのである。
posted by 生出道憲 at 08:15| Comment(0) | 山毛欅

2015年07月10日

雫の森

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森は海に似ているな、と思うことがある。一滴の雫が集まって川になり、やがては海になる。

森は目に見えない小さな微生物、熊やカモシカなどの大型の獣、そして名も知らぬ虫や植物たち、果ては樹齢数百年の巨木など、多くの生命が運命共同体のごとく深いつながりで成り立っている。森に集うたくさんの生命達を、それぞれ一滴の雫とすると、森は海に似ていると思ったのだ。

森の中に生きるひとつひとつの生命の結びつきをうらやましいと思う。

僕が森の中に足を踏み入れるのは、彼らの素敵な結びつきに少しでも近づきたいというささやかな願望があるからだ。しかし現代に生きる我々にとって森の中に入ることはすでに非日常的な行為なのである。

多くの人が無言で行きかう交差点で、僕は森のことを考えていた。

豊かで便利な生活を否定するものではないが、森の中に入る時間が多くなるにつれ、自分の居場所が人間社会にはなくなってしまうような気がして・・・。

樹齢300年は経っているであろう山毛欅に会いにいった。空を隠すかのように広げた枝には緑がまぶしいほど輝いていた。僕は、森の中の雫に、ほんの一瞬だけど近づけたような・・・そんな錯覚をした。
posted by 生出道憲 at 19:35| Comment(0) | 山毛欅

2015年05月31日

山毛欅

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山毛欅で「ぶな」と読む。木へんに無しの「橅」とも表記されるのだが、僕としては山毛欅の方がしっくりくる。

ガサゴソと森の中を10分も歩けば、この山毛欅に会うことが出来る。いつだって黙って僕をむかえてくれる。そう、木はいつも無口なのだ。

むかしむかし人生の師から聞いた話。「木のように黙って立って、お前を見つめるのが親だ」と。「親という字は、親のあるべき姿を示している」のだとも。なるほど・・・子に対してつべこべ言わず、ただ見ることだけで子を諭す。実際、そんな親はいないだろうけど・・・ね。

さて、くだんの山毛欅であるが、相変わらず無口である。だけど・・・この山毛欅の下に立つと、僕の全てを見透かされているようで恐いのだ。僕よりも遥かに永い時間を生きている先輩である。所謂「上から目線」とは違う威厳ある目力を感じる。自然の全てを知り尽くしている、人間(お前)の所業などタカが知れているんだよと云っているようだ。僕は思わず立ちすくんでしまう。

僕にとって山毛欅は単なる木では無いのである。
posted by 生出道憲 at 21:23| Comment(0) | 山毛欅