2018年05月07日

新緑の駒止の滝

_IMG9872.jpg

嘘のように季節が先を急いでいる。どうしてそんなに先を急ぐ。案外、人類の、地球の滅亡が・・・そう遠くない将来訪れるのか?いやいや・・・そんなことはないと願いたい。いちばん戸惑っているのは、やはり木々であり、草花であり、山に生きる動物達なのだろう。人は己の欲望を満たすためになりふり構わず・・・時に自然保護などとほざきつつ・・・節操なく都合の良い言葉を並べるだけ。売上も給料も株価も地価もGDPも・・・高い方が人々は、素直に納得する。あ〜よかった、豊かになった。

この写真に限らず・・・目の前の風景は、人類へ何かしらのメッセージを伝えているのだろうが、あ〜残念、我々はそこまで読み取る力は備えてはいなかった。

posted by 生出道憲 at 23:19| Comment(0) |

2016年10月27日

小野川の不動滝

2016-10-26_IMG6702.jpg

裏磐梯の紅葉は、すでにピークを過ぎてしまったようだ。油断していたら駆け足で過ぎ去った。年々色づきも悪くなるようだし、気持ちも高揚しない。裏磐梯の撮影地としてはベタであるが、小野川の不動滝を見てきた。滝の姿はいつもと変わらない美しさであったが、色づきに関してはメリハリもなく、かなりがっかりした。
posted by 生出道憲 at 12:42| Comment(0) |

2016年05月10日

新緑の候

2016-05-07_IMG6109.jpg

天栄村の「明神滝」は小さいながらも趣のある滝だ。田んぼに水が入る頃、ツツジやヤマブキが花を付け、またひとつ季節が先に進んだことに気がつく。一年の3分の1が過ぎてしまった。

地球温暖化と騒がれて久しい。その影響なのかどうか定かではないが、季節の移り変わりや気象そのものが極端になってきた。かつて日本で竜巻が発生したことがあっただろうか?大雪、大雨も然り。大地は前例がないという揺れが続いていて、いつ終息するのかすら判らない。

海の向こうでは極端な発言をする大統領候補が支持を集め、大義名分のない争いは多くの犠牲者と難民を作り出した。己の言い分をミサイルに託し撃ちまくる姿は、電車の中で周囲を気にせず泣き叫ぶ子供のごとく・・・である。

歪んでしまった自然が、人間の心にまで影響を与えているのだろう。いや、歪んだ人間が自然を歪めてしまった・・・そう考えたほうが合点がいくのかもしれない。流れ落ちる水の行く末を案ずるのは少々マイナス思考だろうか?
posted by 生出道憲 at 08:20| Comment(2) |

2015年10月17日

ツムジクラの滝

2015-10-18_IMG4669.jpg

今年は秋の訪れが例年に比べ、ちょっとだけ早いようだ。色づきも昨年よりはいいように感じている。しかし20年も前に見た鮮やかな紅葉にはほど遠い。いろんなことが影響しているのだろうが、徐々におかしくなりはじめた地球の自律神経は、この先いったいどうなってしまうのだろう。深山の滝の音だけは辛うじてむかしをとどめていた。
posted by 生出道憲 at 22:30| Comment(2) |

2015年07月22日

暑中お見舞い申し上げます

2015-07-22_IGP8710.jpg

とにかく暑い。30度を軽く越える気温が続く。こんな日は滝の飛沫を浴びるに限る。それとも・・・エアコンの効いた部屋でおとなしくしていたほうがいいかな。いずれにせよ、みなさん、とにかくご自愛ください。
posted by 生出道憲 at 12:49| Comment(0) |

2015年06月24日

幕滝

2015-06-24_IGP5509.jpg

「那智の滝」といえば、滝そのものがご神体として知られている。山や木、岩など自然のモチーフに神が降臨するという発想は日本人的な宗教観といえるだろう。滝、岩、樹木が神なのではなく、神の象徴としてそれらを崇めるスタイルだ。自然の大きな力の前では無力な人間である。何百年、あるいはそれ以上存在し続ける自然のモチーフに畏敬の念が芽生え「ささやかな生活をお守りください」と手を合わせるようになったのは、考えてみれば自然なことである。

自然に限らず日常生活の身の回り、台所や御不浄(トイレ)など何処にでも神は宿っている。慎ましやかな暮らしをしていれば、あらゆる恵みに感謝し、そこに宿る神のおかげと感じるのが道理であろう。日本人は、あらゆるところに神の存在を意識してきたのだ。

押入れを開けると・・・そこには「貧乏神」がいて、貧乏な暮らしは、そのご利益のたまものなのだ。ありがたや、ありがたや・・・である。
posted by 生出道憲 at 23:02| Comment(0) |